2026年08月27日 06:00 / - PV

完全に趣味です。仕事の役には立ちません。
弊社のWebツール集 Spoon Tools! に、計算尺を追加しました。ブラウザの中で滑尺(真ん中の板)を指で動かして、掛け算や割り算をする、あの道具です。

ブラウザで動く計算尺。上から K・A・B・CI・C・D・L の7本の尺と、ガラスのカーソル
なぜこんなものを作ったのか。順を追って書かせてください。
計算尺は、目盛が対数(log)の間隔で刻まれた物差しを2本重ねた道具です。
普通の物差しは、1・2・3・4…が等間隔に並んでいます。計算尺の目盛は違って、1から2までの距離より、2から3までの距離のほうが狭い。9から10に至ってはほとんど詰まっています。これが対数の目盛です。
なぜそんな刻み方をするのかというと、対数には次の性質があるからです。
log(a × b) = log(a) + log(b)
掛け算が、足し算になる。
つまり「aの長さ」と「bの長さ」を物理的に繋げれば、そこは自動的に「a×bの長さ」になっているわけです。計算尺がやっているのはこれだけです。板をずらして長さを足し、その位置の目盛を読む。それが答えになります。
実際に 3.5 × 18 をやってみるとこうなります。

C尺(滑尺)の左端の「1」をD尺の3.5に合わせ、カーソルをC尺の1.8へ。その下のD尺が6.3を指している
手順は3つだけです。
答えは63です。
ここで「6.3って書いてあるのに答えは63なの?」と思われたはずです。そこがこの道具の最大の特徴で、計算尺は桁を教えてくれません。
計算尺が示すのは「6・3…」という数字の並びだけ。それが63なのか、6300なのか、0.063なのかは、使う人が概算で判断します。3.5に18を掛けるなら、だいたい3.5×20=70くらいだろう、だから63だ、と。
不便に聞こえますが、実務では意外と困りません。設計をしている人は答えの桁を先に分かっているからです。むしろ「有効数字は3桁でいい。桁は自分で分かっている」という割り切りこそが、計算尺を200年以上現役でいさせた設計思想でした。
計算尺の歴史は、対数そのものの歴史から始まります。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1614年 | ジョン・ネイピアが対数を発表。掛け算を足し算に置き換える道が開ける |
| 1620年 | エドマンド・ガンターが対数目盛を刻んだ物差し(ガンターの線)を作る。ディバイダで長さを測って足していた |
| 1622年ごろ | ウィリアム・オートレッドが、2本の対数尺を滑らせる方式を考案。これが計算尺の原型 |
| 1859年 | フランスの砲兵将校アメデ・マンハイムが、A・B・C・D尺とカーソルを備えた形を確立。以後の計算尺はほぼこの「マンハイム型」の子孫 |
| 1909年 | 日本の逸見治郎が、竹製の計算尺を完成させる |
日本の話を少し。
計算尺は木で作ると、湿度で反ります。目盛が0.1mmずれれば読みが変わる道具なので、これは致命的です。逸見治郎はマンハイム型の改良に取り組むなかで、竹を貼り合わせた合板が、伸縮が少なく滑りも良いことに行き着きました。竹の表皮側と内側を交互に貼り合わせ、表面にセルロイドを貼って目盛を刻む構造です。
これがよく効きました。第一次世界大戦でドイツ製計算尺の供給が途絶えたこともあり、ヘンミ計算尺は輸出を伸ばし、1965年ごろには世界シェアの約8割を握るまでになります。理科系の学生が使っていた竹の計算尺は、かなりの確率で日本製だったわけです。
余談ですが、ヘンミ計算尺株式会社は今も存在します。作っているものは電子機器に変わりましたが、社名は当時のままです。
このあたりの経緯は、メーカー自身と国立科学博物館が資料を公開しています。
計算尺は350年使われ、そしてわずか数年で消えました。
引き金は1972年2月、ヒューレット・パッカードが発売した HP-35 です。世界初のポケットサイズの関数電卓でした。
それまで、三角関数や対数を持ち歩いて計算できる道具は計算尺しかありませんでした。当時の電卓は四則演算しかできず、計算尺の代わりにはならなかったのです。HP-35はそこに正面から刺さりました。価格は395ドル。当時としては高価ですが、技術者の給料からすれば手が届く額です。
そして電卓には、計算尺が絶対に持てないものがありました。桁が出ることと、有効数字が10桁出ることです。
計算尺の側に打つ手はありませんでした。有効数字を増やすには尺を長くするしかなく、実際「精度を上げたいなら長い尺を買う」という世界だったからです。1mの計算尺でも、桁数は1桁増える程度でした。
市場は一気に縮みます。アメリカ最大手だったケフェル・アンド・エッサー社は、1975年に目盛の彫刻機を止め、1976年7月11日に最後の1本を製造して撤退しました。各社もおおむね1980年ごろまでに製造をやめています。
| 計算尺 | 関数電卓 | |
|---|---|---|
| 有効数字 | 3桁程度 | 10桁 |
| 桁(小数点の位置) | 出ない。人間が管理する | 出る |
| 足し算・引き算 | できない | できる |
| 電源 | 不要 | 必要 |
こうして並べると、負けるべくして負けた感じがします。計算尺は足し算すらできません。
ただ、最後の一行だけは今も計算尺の勝ちです。電池が切れないし、落としても壊れにくい。アポロ11号の月着陸に技術者が計算尺を持ち込んでいたのは、まさにそこが理由でした。
ここからが本題です。
私が計算尺に惹かれるのは、コンピュータが生まれる前、世界のあらゆる設計はこの道具で行われていたという一点です。
橋も、ダムも、船も、ロケットも。構造計算も、応力の計算も、燃費の計算も、全部これです。電卓もExcelもない時代に、人類は竹の物差しを滑らせて飛行機を飛ばしていました。
思い浮かべてしまうのは、宮崎駿監督の『風立ちぬ』です。零戦を設計した堀越二郎を主人公にしたあの映画で、技術者たちは机に向かって計算尺を動かしています。図面と計算尺と鉛筆だけで、空を飛ぶものの形を決めていく。
冷静に考えれば、有効数字3桁で航空機を設計していたわけです。恐ろしい話でもありますが、同時に、3桁で足りるということを分かった上でやっていたということでもあります。何桁必要かを判断できる人間が、その桁だけを出す道具を使っていた。
翻って自分はどうか。私はふだん、0.1 + 0.2 が 0.30000000000000004 になる世界で仕事をしています。倍精度浮動小数点数は有効数字15桁ぶんの情報を持っていますが、私がそのうち何桁を本当に必要としているかというと、たいてい3桁くらいです。
道具のほうが人間より賢くなった結果、自分がいま何桁の精度を必要としているのかを考えなくてよくなりました。便利ですが、失ったものもある気がします。
そんなことを考えていたら、触ってみたくなりました。実物を買ってもいいのですが、それだと私しか触れません。Webにしてしまえば、誰でも、今すぐ、無料で触れる。ヤフオクで落札する前に、まず動くものが目の前にあったほうがいい。
というわけで作りました。
尺の構成は、かつて学生用として一般的だったマンハイム型系統の計算尺 に合わせました。載せた尺はこの10本です。
| 尺 | 用途 |
|---|---|
| C・D | 基本尺。掛け算・割り算はこの2本で行う |
| A・B | 2乗・平方根(D尺2本ぶんを半分に縮めた尺) |
| K | 3乗・立方根(D尺3本ぶんを1/3に縮めた尺) |
| CI | C尺の逆数。右から左へ増える。赤で刻まれている |
| L | 常用対数の値をそのまま読む尺。ここだけ等間隔 |
| S・T・ST | sin・tan・微小角。滑尺の裏側にあるので、ボタンで裏返して使う |
π のゲージマークも実物どおり赤で入れてあります。円周の計算をよくやるので、3.1416の位置に印がついているのです。細かい話ですが、こういうところに当時の「よく使う計算」が化石のように残っていて面白い。
とはいえ、いきなり板を渡されても動かし方が分かりません。そこで式を入れると、計算尺がその位置まで動く練習モードを付けました。

式を入れると尺が動き、手順と読みが表示される。正確な値との誤差も出る
「3.5 × 18」と入れて押すと、滑尺とカーソルがすーっと動いて所定の位置に止まり、
という手順が出ます。動きを見てから、同じことを自分の指でなぞってみてください。1回やると仕組みが腹に落ちます。
答えが尺からはみ出すとき(左端の「1」ではなく右端の「1」を使う、というやつです)もちゃんと切り替えます。ここが計算尺で最初につまずくところなので、動くところを見てもらうのが一番早いと思っています。
掛け算・割り算・2乗・平方根に対応しています。三角関数は「滑尺を裏返す」でS尺に切り替えて、30°にカーソルを合わせてD尺を読んでみてください。5.00、つまり sin30° = 0.500 が出ます。
手順が分かったら、その下の 計算尺ドリル で腕試しができます。出題された式を、実際に尺を動かして解いて、読み取った値を入力する形式です。

上級では2乗・平方根も出る。「読みは合っているが桁だけ違う」は専用の判定にしてある
判定は誤差0.6%以内を正解としています。実物の計算尺で読める精度が有効数字3桁なので、そこに合わせた幅です。ぴったり当てる必要はありません。
面白いのは、「読みは合っているのに桁だけ違う」を専用の判定にしているところです。57.5と答えるべきところを5.75と入れると、「読みは合っています。桁だけ違います」と出ます。計算尺を使い始めて最初にやる間違いがこれで、不正解の山に混ぜてしまうと何を直せばいいのか分からないからです。
解けなければ「解き方を尺で見る」を押してください。尺がその問題の位置まで動いて、手順が出ます。
尺はSVGで描いています。目盛の位置は、値を log10 に通してそのまま0〜1の座標に写しているだけです。
x = log10(v) (1〜10)x = log10(v) / 2 (1〜100を半分の長さに詰める)x = log10(v) / 3x = 1 - log10(v) (反転させると逆数尺になる)x = log10(10 × sin θ)CI尺が 1 - log10(v) だけで逆数尺になるのは、書いていて少し感動しました。左右をひっくり返すことが、そのまま逆数を取ることになっている。物理的な操作と数式が一対一で対応しているのが、この道具の気持ちよさだと思います。
滑尺のずらし量とカーソル位置も0〜1の正規化した数値で持っていて、表示倍率とは完全に分けてあります。8倍まで拡大しても目盛を作り直さずに済むので、細かい目盛を読みたいときは拡大してください。実物では老眼鏡が要るところです。
計算尺は、答えを出してくれる道具ではありません。答えの3桁ぶんだけを出して、残りは人間に任せる道具です。そういう道具を使って、当時の技術者は飛行機やダムを設計していました。
実用性はありません。掛け算がしたいだけならスマホの電卓のほうが速いです。でも、祖父母の世代のエンジニアが何を使っていたのかを3分だけ体験してみるには、悪くない道具だと思います。
今回、作るにあたって計算尺のことを一通り調べたのですが、これが非常に勉強になりました。対数の発見から竹の合板に行き着くまでの流れも、たった数年で市場が消えていった経緯も、恥ずかしながらほとんど知らないまま「昔の計算道具」とだけ思っていたからです。
もうひとつ、個人的な事情があります。私の地元には、昔、計算尺を作っていた工場がありました。子どもの頃は、そこが何を作る場所なのかも分かっていませんでした。0.1mmのずれが読みを変えてしまう目盛を刻む仕事が、自分の生活圏にあったわけです。そう分かってしまうと、もう単なる古い道具の話では済みません。思い入れ、と言っていいと思います。
そして私はエンジニアです。ふだんは計算機に計算させる側にいますが、その計算機のずっと手前にある機械に、今回はじめて触れることができました。滑尺をずらして長さを足すという、たったそれだけの仕組みで350年ぶん持ちこたえてきた道具です。自分が毎日使っているものの祖先を、指で動かして確かめられた感覚がありました。
頭で知っているのと、指で動かしてみるのとでは、やはりずいぶん違います。作ってみて一番よかったのは、たぶんそこです。
ひとつだけ、作ってから気づいたことがあります。スマートフォンだと、尺を動かしている最中の数字が指で隠れて全く見えませんでした。読みたい場所を自分の指で覆いながら操作することになるので、これでは計算尺になりません。実物なら手元を少しずらせば済む話ですが、画面の中ではそうもいかない。
そこで、尺のすぐ上に「今カーソルが指している値」を常に出すようにしました。指が目盛を隠していても、視線を少し上げれば読みが分かります。あわせて、スマートフォンで開いたときは最初から拡大した状態で表示し、カーソルを動かした先が画面の外に出たら自動で戻ってくるようにしています。
物理の道具をそのまま画面に持ってくると、こういうところで詰まるのだなと思いました。指はガラスのカーソルほど透けていません。
よかったら触ってみてください。無料で、登録も不要で、計算はすべてブラウザの中だけで完結します。
本記事で紹介したツール「デジタル計算尺」は、記事中で言及した企業・製品・作品とは一切関係がありません。尺の構成は、かつて学生用として一般的だったマンハイム型系統の計算尺を参考にした独自実装です。
この記事が何かのお役に立てれば幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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